神戸地方裁判所 昭和61年(ワ)426号 判決 1990年6月29日
原告 大久保繁晴
右訴訟代理人弁護士 藤野亮司
被告 社会福祉法人恩賜財団済生会
右代表者理事 依藤省三
右訴訟代理人弁護士 田原潔
同 稲垣喬
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金九〇〇〇万円を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告は、昭和三一年二月一三日生まれの男子である。
(二) 被告は、兵庫県神戸市中央区日暮通五丁目五番一七号で、済生会兵庫県病院(以下「被告病院」という。)を開設しているものであり、訴外小金井彰(以下「小金井医師」という。)は、昭和五九年四月ないし五月当時被告病院に医師として勤務していたものである。
2 診療行為の経過
(一) 被告病院入院に至る経緯
原告は、昭和五九年四月二五日、身体の倦怠感を訴え、被告病院内科を受診したところ、小金井医師からクッシング症候群の疑いがある旨の診断を受けたため、翌二六日検査のため同病院に入院した。
(二) 骨髄穿刺検査(以下「本件検査」という。)の施行
原告は、諸検査の結果クッシング症候群の疑いが薄くなったが、念のためということで同年五月一七日、小金井医師により本件検査が行われた。右検査にあたっては穿刺部位をドレープで被うこともなく、小金井医師はゴム手袋をせずに本件検査を行った。そして同人は骨髄穿刺の経験に乏しく器具の使用が不慣れなために、その使用方法を臨床検査技師に聞きながら本件検査を実施し、一度目の穿刺では骨髄まで穿刺針を到達させることができず、一旦穿刺針を抜いたのち二度目の穿刺を行った。
(三) 本件検査後の原告の症状及び被告病院の処置
原告は、本件検査終了二時間後に、胸部が痛みだし発熱が生じた。右症状に対して被告病院は、その原因について当初は穿刺の際に筋肉離れを起したためだと説明したが、のち風邪あるいは肝臓の病気で生じている旨を告げ、注射を日に六、七本射つだけで何らの処置も講じなかった。
(四) 被告病院への再入院に至る経緯
原告は、同年七月一〇日、微熱は続いていたが痛みがとれてきたために、被告病院を退院したところ、同日夜、高熱及び身体硬直を生じたため神戸市立中央市民病院(以下「市民病院」という。)に緊急搬入された。その際、同病院山田明彦医師(以下「山田医師」という。)から骨髄穿刺の跡の骨髄に炎症が生じているので除去手術を受けなければならない旨告げられ、通院しながら入院を待っていた。その後、同年八月一五日に山田医師から被告病院で治療する方がよい旨の話があったので、その頃、被告病院に再入院した。
(五) 被告病院での治療
被告病院は原告に対し、手術することなく点滴、注射、投薬等の治療を行い、原告は、症状が治まったため、同年九月一〇日に退院し、同月一四日に通院した際に、既に完治した旨告げられ、同時に示談の申入れがあったので、被告病院の言葉を信頼して同日、一三八万円で示談をした。
(六) 市民病院への入院から退院に至る経緯
ところが、被告病院と示談を交した三日後の同月一七日に、原告は胸部の痛み及び身体硬直の症状が現われて市民病院へ緊急搬入され、骨髄炎の手術が必要である旨の診断を受けた。原告は、被告病院に対して完治していなかったとして抗議したが、被告病院は、この件については医師会に任せる旨の回答をするのみであった。そこで、原告は被告病院との交渉は後にし、まず病気を完治させることが先決と考え、同年一一月一五日に市民病院に入院し、同月一九日に骨髄の炎症部分の郭清手術を受け、同年一二月一五日に退院した。
(七) 市民病院退院後から今日に至る経緯
昭和六〇年一月一九日、原告は、再度胸部痛及び呼吸困難により市民病院に緊急搬入され、同月二一日から二七日まで、同病院で入院治療を受けた。その後も、蕁麻疹、右腕の運動困難、嘔吐、呼吸困難を伴う様々な症状を呈したうえ、全身の筋肉硬直、歩行障害、視力異常の障害を負っており、胸の腫脹、手足の硬直等で、その後一年間だけでも二四回位救急車で市民病院に運ばれた。
3 原告の症状
(一) 骨髄炎の発症
原告は、本件検査二時間後、胸部の痛み及び発熱を生じ、本件検査翌日の昭和五九年五月一八日には三七℃~三八℃、一九日には三八℃~三九℃、二〇日には三八℃~三九・七℃、二一日には三九・四℃の高熱を発し、本件検査後三日の二〇日に発熱はピークに達する症状を呈し、その後も同年六月一七日には胸骨部分に直径五センチメートルの腫脹が生じ、翌一八日には右部分から膿が排出するという症状を呈していることから、本件検査により穿刺部位から黄色ブドウ球菌が侵入して、同部位に骨髄炎が発症し、その後被告が骨髄炎の早期治療を怠ったことにより骨髄炎を悪化させた。
(二) 右前腕部の腫脹及び疼痛
本件検査後、早くには両肩の凝り、炎症症状が生じ、右前腕部の腫脹及び疼痛が現在まで継続している。右原因としては、まず胸郭出口症候群が考えられ、骨髄炎手術により胸骨が除去され支持性が悪くなったことに起因し、ライトテスト(右腕の過外転テスト)で脈が停止する等の症状を呈している。また、骨髄炎の原因菌と考えられるブドウ球菌によって引き起こされる蜂巣織炎や静脈炎等による炎症が考えられる。いずれにしても骨髄炎発症後に出現したものであり、骨髄炎と因果関係がある。
(三) 両手足の硬直
本件検査後、急激に手足に力が入らず硬直して倒れることが多くなった。原因は判明しないが、本件検査後に生じた異常な症状であり、骨髄炎との因果関係は認められる。
(四) 呼吸困難
本件検査以後、呼吸困難の症状が生じてきた。原因は判明しないが、本件検査後に生じた異常な症状であり、骨髄炎との因果関係は認められる。
(五) 後頭部の腫れ
昭和六二年四月ころから、原告の左右の後頭部に瘤のような腫れが生じ始め、抗生物質の投与により一時的に症状が治まることがあるものの、何度か再発を繰り返しており、右症状も骨髄炎の菌によることが考えられる。
(六) 耳下リンパ節の腫脹
平成元年七月五日頃、耳下リンパ節に小指大の腫脹がみられたが、右腫脹は骨髄炎の活発化により生じたものであり、骨髄炎との因果関係が認められる。
(七) 敗血症のおそれ
被告病院の骨髄炎に対する適切な治療が遅れ、長期間放置されていたことにより、原告は、突然悪寒、高熱の症状を呈し、敗血症に罹患しているおそれが生じている。
4 被告の債務不履行
(一) 診療契約の締結
昭和五九年四月二六日、原告が被告病院に入院するに際し、被告において、原告の身体の倦怠感について医学的に解明し、その原因ないし病名を的確に診断したうえで、その症状に応じた適切な治療行為を行うことを内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。
(二) 診療契約の債務不履行
小金井医師は、本件診療契約に基づく被告病院の履行補助者として原告の診療及び検査を行った者であるが、同人は後記5のような医療上の過誤によって原告に骨髄炎を発症せしめ、更に被告病院は骨髄炎の早期治療を怠り、骨髄炎を悪化させ、後記6のような損害を与えたものであるから、被告は債務不履行(不完全履行)責任に基づく損害賠償責任を負う。
5 小金井医師の医療上の過誤
(一) 本件検査の不必要性
原告は、諸検査の結果、クッシング症候群の疑いが否定され、白血球数の増加も一ミリ立方メートル中一万を越えるものであったが、研究者によっては正常値の範囲内とする程度のものであり、また血球に異常があったことを窺わせる事実は存在しなかった。このような状況を考えると、造血部位に骨髄穿刺をしても異常を確認できないのであるから、骨髄穿刺検査をする必要性はなかった。小金井医師は右検査が不必要であったにもかかわらず本件検査を実施し、そのために原告は骨髄炎に罹患した。
(二) 本件検査における過誤
小金井医師は、穿刺器具の使用方法を臨床検査技師に聞きながら本件検査を実施するなど骨髄穿刺検査の経験が浅く、一度目は失敗し、一旦穿刺針を抜いた後に再び他の場所に穿刺をした。小金井医師は本件検査にあたり、穿刺部分をドレープで被うことなく、ゴム手袋は付けずに、また二度目に穿刺をした際には穿刺針及び吸引用の注射針を消毒せずに検査を実施した。
骨髄穿刺検査にあたっては、検査者は、自己の手指、検査部分、検査器具の消毒をし、万が一にも穿刺口から細菌感染することのないよう措置すべきであるのに、小金井医師は右措置を怠りそれらを未消毒のままで本件検査を実施したために、器具を通して骨髄炎の起因菌を原告の体内に侵入させて骨髄炎を発症させた。
6 損害
(一) 逸失利益
(1) 治療費関係費 二七二万六〇一〇円
原告は、骨髄炎の治療及び筋肉の硬直をマッサージにより解消する必要があり、その治療費として昭和六一年一月から病院治療費一六万四一二〇円、マッサージ代九〇万八三〇〇円がかかっており、病院等への通院交通費一五万三五九〇円を加算すると、治療費関係は一二二万六〇一〇円となる。また、一応の症状固定は昭和六〇年一二月末にしているが、原告は将来にわたりマッサージ、治療を続けなければならず、症状固定後であっても少なくとも三年間の治療費等は損害と認められるべきであるから、その費用一五〇万円は損害となる。
(2) 休業損害 九四五万二四五三円
<1> 原告は骨髄炎による入院により休業を余儀なくされた。昭和五九年五月一二日から昭和六〇年一二月三一日までの休業損害は九四五万二四五三円である。
<2> なお、右計算は以下のとおりである。
原告は、本件検査以前にはベーシックイン寝装株式会社に勤務をしており、昭和五八年一〇月は月額四〇万七〇四二円、同年一一月は月額五八万三三〇〇円の賃金を得ており、昭和五九年四月は月額四六万七五〇〇円の収入を得ることができたものとみられるから右三カ月分を基礎に一カ月の収入相当額を算出すると(四〇万七〇四二円+五八万三三〇〇円+四六万七五〇〇円)÷三=四八万五九四七円となる。なお、右三か月分を賃金算定基準に選んだ理由は、昭和五八年一二月から昭和五九年二月までは肋軟骨骨折により療養中であったために算定基準に適さず除外したからである。そして、昭和五九年四月分の賃金の算出根拠は、原告が同月中に二日稼働し、一三万八六〇〇円の給料を得たが、基本給一一万円のほかは歩合給であるのでこれをもとに計算すると、(一三万八六〇〇円-一一万円)÷二日×二五日(昭和五八年一〇月及び一一月の実働日数)+一一万円により四六万七五〇〇円となる。
(3) 労働力喪失による損害 九五〇一万六九五八円
原告は、神経系統に著しい障害を残し、筋肉硬直等のため軽度の労働以外の労務に服することが困難であるから、労働能力喪失率は等級表五級、労働能力喪失率七九パーセントに該当し、労働力喪失による損害は九五〇一万六九五八円となる。
四八万五九四七円×一二か月×〇・七九×二〇・六二五四七一一五(三七年に対応する新ホフマン係数)=九五〇一万六九五八円
(4) 弁護士費用 一〇〇〇万円
(二) 慰謝料 一三七四万円
原告の前記症状が被告病院の履行補助者の初歩的ミスから生じたものであることを考えると、症状固定までの期間中の慰謝料は一九五万円が相当であり、また後遺症慰謝料は労働能力喪失率が等級表の五級に相当することから一一七九万円が相当であるから、慰謝料の合計は一三七四万円となる。
7 原告の被告に対する損害額は一億三〇九三万五四二一円であるところ、原告は被告から、示談書作成時に一三八万円、その後生活費として昭和五九年一一月から昭和六〇年一二月まで毎月二六万円、その他七二万円、合計四一〇万円を受領しているので、差引一億二六八三万五四二一円の損害賠償請求権を有する。
8 よって、原告は被告に対し、診療契約の債務不履行による損害賠償請求権に基づいて、一億二六八三万五四二一円及びこれに対する昭和五九年五月一七日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の内金九〇〇〇万円の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実(当事者)は認める。
2 請求原因2(診療行為の経過)について
(一) (一)の事実(被告病院入院に至る経緯)は認める。
(二) (二)(本件検査の施行)のうち、小金井医師が原告に対し、昭和五九年五月一七日に本件検査をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。小金井医師は当時大学卒業五年目余りであり、骨髄穿刺検査の経験を充分にしていた者であったところ、原告に対し、原因不明の白血球増加があったので白血病等の病気を否定するために骨髄穿刺検査を行う必要がある旨説明した上で、昭和五九年五月一七日午後二時から、原告にオムニカイン局所麻酔を施したうえ本件検査を開始した。ところが、原告が著しく肥満していたため、一回目の穿刺では骨髄液を吸入することができなかったので、再度穿刺を行ったものである。原告は、小金井医師が器具の使用方法を臨床検査技師に聞きながら本件検査を実施した旨主張するが、右主張は小金井医師が使い慣れた穿刺器具及び吸引用注射器が揃っているか否か、塗沫標本作成の準備が整っているか否か等を検査技師に確認していたことを原告が誤って理解したことを前提とした主張である。
(三) (三)の事実(検査後の原告の症状及び被告病院の処置)は否認する。原告が発熱したのは本件検査翌日の一八日以降であり、本件検査二時間後に生じたことはない。痛みについては、穿刺針による刺激と筋肉離れによることを示唆したのみである。
(四) (四)の事実(被告病院への再入院に至る経緯)は否認する。原告は昭和五九年七月一〇日に症状軽快により被告病院を退院し、同月一一日から一三日までは被告病院に外来通院していたが、同月一五日、発熱により市民病院に緊急搬入された。その後、被告病院雨宮副院長は、同年七月中旬から八月上旬にかけて原告及び同人の母親と数回にわたり面接をしたが、その際、山田医師からは手術の必要はなく投薬により治癒する旨の説明を受けていること及び被告病院でも同様の見解をもっていることを説明した。そして同年八月一五日に原告は被告病院に再入院した。
(五) (五)(被告病院での治療)のうち、被告病院が原告に対して手術をせず、投薬、点滴等の治療をしたこと、一三八万円を支払って示談したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告が原告に対して一三八万円を支払ったのは、原告が昭和五九年八月下旬以降頻繁に被告に対し休業補償と慰謝料の支払いを要求し、看護に協力せず、給食部に赴き従業員を非難したり、院長への面接を要求する等、被告病院の日常業務に支障をきたす行動をとるためにやむを得ずとった措置であり、それにより被告は債務不履行責任を容認したものではない。
(六) (六)(市民病院への入院から退院に至る経緯)のうち、原告が昭和五九年七月一七日に市民病院に緊急搬入されたこと及び同病院で骨髄炎の手術を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。被告病院は同年九月一〇日に原告が被告病院を退院して以降、原告に対し、通院治療を行っていたところ、原告は同年一〇月中旬まで再三病院関係者を罵倒し、また原告の諸要求を全部容認せよと要求するので、病院関係者は右対応に疲労困憊し、右要求処理を神戸医師会の医事紛争対策部に任せることとしたものである。
(七) (七)(市民病院退院後から今日に至る経緯)のうち、入院日が昭和六〇年一月二一日であることは認め、その余の事実は否認する。退院日は同年一月三〇日である。原告主張の原告の症状は、骨髄炎と無関係の症状であり、原告は本件検査以前から嘔吐症状を呈していた。
3 請求原因3(原告の症状)(一)のうち、原告が骨髄炎に罹患した事実は認めるが、その余の事実は否認し、同(二)ないし(七)の事実は知らない。
4 請求原因4(被告の債務不履行)について
(一) (一)(診療契約の締結)のうち、昭和五九年四月二六日に診療契約を締結したことは認めるが、診療契約の内容については争う。
(二) (二)の事実(診療契約の債務不履行)は否認する。
5 請求原因5の事実(小金井医師の医療上の過誤)は否認する。
6 請求原因6の事実(損害)は知らない。
7 請求原因7、8は争う。
三 被告の主張
小金井医師は、以下のとおり適切な医療上の処置をしたのであり、その診療に違法はない。
1 診療及び本件検査の経緯
(一) 原告は昭和五九年四月二五日に体重の異常増加(約一か月間で約一八キログラム、一年間で約三〇キログラムの体重増加)及び全身倦怠感を訴えて被告病院内科を受診した。原告を担当した小金井医師は、検査の結果原告に糖尿病の徴候を認め、クッシング症候群の疑いが生じたことを理由に入院治療を勧めた。
(二) 翌二六日、原告は被告病院に入院し、諸検査の結果クッシング症候群の疑いは否定されたが、肝機能障害及び白血球の異常増加(昭和五九年四月二七日には血液一ミリ立方メートル中一一五〇〇個、同年五月一二日には一一七〇〇個)が発見されたため、小金井医師は原告に対し、骨髄液検査により原因不明の白血球増加の原因を解明するためにその検査を実施する必要があることを説明したうえで、原告の納得を得、同年五月一七日に本件検査を実施した。
(三) 小金井医師は同日午後二時から原告に対し本件検査を実施したが、右検査に際して、小金井医師は穿刺部位をヨード製剤イソジンで消毒したうえ、滅菌された有窓ドレープで被い、オムニカイン局所麻酔を施し、ゴム手袋を装着したうえで自己の使い慣れたドリル式の穿刺器具を使用し、完全殺菌された穿刺針を用いて本件検査を実施した。同人は穿刺部位として第二肋骨と第三肋骨の胸骨中央を選択し同所に穿刺したが、同所付近の血管ないし胸骨下の心臓への穿刺針の貫通を防止するため、穿刺針を深く差し込まなかったところ、原告の異常肥満のため骨髄液の吸引ができなかったので、一旦穿刺針を抜き、皮膚及び穿刺針を消毒状態のまま第三肋骨と第四肋骨の胸骨中央に穿刺をし、本件検査を実施した。
2 小金井医師の無過失
医師は、その診療の前提として、患者の有する疾患とその程度を検査等により明らかにし、診療の対象とされる疾患の原因を確定し、これに対し最適な処置を講ずることが求められているのであり、当時の医療水準に照らし相当と認められる方法を選択し、これを実施したことについては何ら義務違背による過失を肯定されることはない。
(一) 本件検査施行の判断について
血液の異常をきたす疾患の診断には、抹梢血像のみならず造血組織の検査が重要であり、骨髄穿刺検査は有効で医学上一般的に認められている手段とされている。白血球の異常については、抹梢血液中に白血病細胞の見られる疾患である白血病を疑うことになるが、白血球の異常増加の場合(一ミリ立方メートル中一〇万~二〇万個)には、発病の判断は容易であるが、軽度の増加の場合(一ミリ立方メートル中一万個程度)には、右の診断は困難であり、検査を必要とする。被告病院においては、白血球の正常値は一ミリ立方メートル中四〇〇〇~八〇〇〇個であると定めた上で、軽度の白血球増加の場合には検査を実施している。
本件において原告には、白血球の増加(一ミリ立方メートル中一万個以上)が認められ、骨髄穿刺検査により白血病の罹患の有無を判断する必要が生じていたのだから、小金井医師が本件検査を実施したことには何ら過失はない。
(二) 本件検査方法について
(1) 本件検査方法としては、乳幼児を除き一般には胸骨または腸骨を穿刺して行う方法をとり、胸骨を穿刺部分とした場合には第二ないし第四肋骨間の胸骨中央を選択するのが妥当である。そして、穿刺に伴う合併症として胸骨内板を穿刺針が貫通することにより動脈あるいは心臓からの出血が生ずる場合があるので、検査医は穿刺方法について注意し且つ予防法を用いている。本件検査において、、前記三1(三)のとおり小金井医師は自己の使い慣れた器具を用い、一般に穿刺部位とされている第二ないし第四肋骨間の胸骨中央を穿刺部位に選んでいる。
(2) また小金井医師は前記三1(三)のとおり穿刺部位及び穿刺針を消毒した状態で本件検査を施行している。
(3) よって、本件検査方法について小金井医師には何ら医療上の過誤はない。
3 本件検査と骨髄炎との因果関係
(一) 原告の骨髄炎の起因菌はブドウ球菌であると考えられるところ、仮に皮下ブドウ球菌によるものとすれば、骨髄穿刺検査による骨髄炎発症例が多数報告されるはずであるがそのような報告はない。小金井医師は前記三1(三)のとおり消毒状態のもとに本件検査を実施したのであり、本件検査と骨髄炎の間に因果関係はない。
(二) 原告は、昭和五九年五月一七日、穿刺部分に痛み及び発熱が生じ、翌一八日には熱が三七・八℃に達しているが、ブドウ球菌の分裂増殖の時間経過との関係を考慮すれば、同日から骨髄炎の症状として発熱が生じたと見ることはできず、また、同人は本件検査以前にも原因不明の発熱により被告病院で受診していることからも右発熱を骨髄炎によるものと認めることはできない。
(三) 骨髄炎の発症は、鼻腔、咽頭、口腔の黄色ブドウ球菌等の常在菌が骨栄養動脈を経て骨髄に達することにより生ずるが、一般的には常在菌は一過性のものとして処理され、骨髄炎として発症することは稀である。しかし、原告は、肝臓障害、異常肥満、糖尿病の症状を有し、抵抗力の衰えた状態(コンブロマイズド・ホスト)にあったから、血行性の骨髄炎として症状が出たものであり、本件検査により骨髄炎を生じたものではない。
4 原告の症状と骨髄炎との因果関係
(一) 原告が骨髄炎に罹患した後、その主張のような症状が発症したとしても、原告は、被告病院において昭和四六年にリンパ腺腫、痔瘻で手術を受け、昭和五六年には肝臓障害の治療及び肝炎による入院、昭和五八年には交通事故による左胸部打撲の治療を受け、以後第六ないし第八肋骨に痛みを残し、昭和五九年四月の受診時には軽度の全身痛、全身発疹、腰痛、頭痛、頚部痛、下半身倦怠、歩行困難を訴えていたのであり、原告の症状は本件検査以前にすでに生じていたものであり、骨髄炎との因果関係はない。
(二) 右前腕部の腫脹及び疼痛について
胸郭出口症候群の疑いについてみると、ライトテストの結果は昭和六〇年一〇月二九日には左右+、同年一一月二六日には左+、右±、同年一二月二三日には+(左右の記載なし)、昭和六一年六月一一日には左右+、同年八月二九日には-(左右の記載なし)、昭和六二年三月一一日には左右+、同年五月一三日には-(左右の記載なし)と安定していないが、昭和六一年八月一日に実施した上肢の神経伝導速度(MCV)には異常がないことから、胸郭出口症候群の確証はなく、また同症候群と骨髄炎との因果関係についてもカルテ等に何ら示されていないことから、両者に因果関係は認められない。
(三) 呼吸困難について
原告は、昭和五九年七月一七日に市民病院に緊急搬入されて以降、多数回にわたり呼吸困難を訴えて救急車で市民病院に搬入されたが、何れの場合にも主訴としてカルテに記載があるのみで、他覚的所見の記入は殆どなく、処置も鎮痛剤を注射する程度であり、まして入院して治療を施すということはなかった。以上の結果から、原告の市民病院での受診に際して呼吸困難はなかったか、あったとしても一過性のものであり、骨髄炎との因果関係は否定されるものである。
(四) 敗血症について
敗血症とは、体内に細菌感染巣が存在してその病巣から絶えず細菌及び有毒物質が流血中に侵入し、菌血症を生じ、他の臓器に新たな感染巣を発症させるものであり、臨床的には、悪寒戦慄、高熱、頻脈、呼吸困難、ショック等の全身症状を呈し、短期間に生命に関わる病気である。強毒菌である黄色ブドウ球菌敗血症患者が抗生物質経口投与のみによる自宅療養で何ら重篤な症状を発症せずに生存していることは医学上あり得ず、原告が敗血症に罹患していることはありえない。
第三証拠<略>
理由
一 当事者
請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 骨髄炎病巣部の郭清手術までの経緯
<証拠略>によれば、次の事実が認められ、<証拠略>中右認定に副わない部分は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 原告は、子供の頃から被告病院をかかりつけの病院として診療を受けており、昭和四六年にはリンパ腺炎、痔瘻で、昭和五六年七月九日から同月一五日まで発熱(中耳炎?)で、同年九月八日から同年一〇月一二日まで肝炎で入院するなどし、以後慢性肝炎等で通院治療を続けていたほか、昭和五九年三月から四月にかけては左前胸部痛(昭和五八年中の自動車事故による肋軟骨骨折によるもの)、顔面皮下膿症、顔面湿疹その他の治療を受けた。
2 原告は、昭和五九年四月二四日、全身倦怠感等を訴えて被告病院内科を訪れ、小金井医師の診療を受けた。小金井医師は、以前に被告病院の行った被告の血液検査の結果では血糖値が高かったこと、体重が異常増加(一か月間に八三キログラムから一〇〇キログラムに、一年間で三〇キログラム増加)したこと等からクッシング症候群の疑いを持ったので原告に入院を薦め、翌二六日、原告は被告病院に入院した。原告は、検査の結果で境界域糖尿病と診断され、クッシング症候群の疑いがなくなったが、同月二七日の血液検査により白血球の数が一ミリ立方メートル中一万一五〇〇個存在したことから、小金井医師は、原告について白血病等の血液疾患の疑いを抱き、骨髄穿刺検査が必要であると考え、原告に対しその説明をして原告の同意を得て、同年五月一七日に骨髄穿刺検査(本件検査)を実施した。なお、原告はそれまでの間に上半身に発疹があり、全身掻痒感、胸苦、頚部痛、下半身倦怠感、歩行困難等の症状を訴えた。
3 原告は、本件検査終了二〇分後から穿刺した胸骨部の痛みを覚え、頚部から胸背部にかけて発疹及び疼痛があり、翌一八日には胸部痛のため他人の介助なしに起床することが困難となり、同日午後二時頃には体温三七・六度、午後一〇時三〇分頃には三八・九度の発熱があった。同月一九日から二三日までは同月二〇日午後三時頃の三九・七度をピークとしてほぼ三八度を越える発熱があり、右同様の症状が続いた。被告病院は、原告に対し同月二〇日から抗生物質パンスポリンの投与を始め、同月二二日、骨髄炎ないし骨膜炎を疑った以後も継続して同薬を投与し、同月二四日、体温はほぼ平熱に戻り、前記症状は漸次軽減し、原告は同年七月一〇日に軽快して退院し、その後通院治療を受けた。なお、被告病院は原告の穿刺部分に腫脹が生じたので、同年六月一五日、右部分を穿刺して原因菌の培養を試みたが、菌を発見できなかった。
4 原告は、昭和五九年七月一七日、胸部の腫脹及び疼痛を訴えて市民病院の外来を訪れ、山田医師の診察を受けてレントゲン、骨シンチグラフの検査により骨髄炎と診断されたが、市民病院は、原告が被告病院で治療中のことでもあり、経過を観ることにした。
5 原告は、同年八月一五日、右市民病院の診断により被告病院に再度入院して骨髄炎の治療を受けることになった。被告病院は、福本龍を主治医として抗生剤による治療方針を立て、当初、市民病院で投与されていた抗生剤ホスミシンを継続して投与したが、結果が思わしくなかったので同月二二日にこれを一旦中止し、同月二七日から薬剤をベストコールに変更した。その結果、原告は、胸骨部の痛みが取れ、血沈が改善されるなど症状が快方に向かい、同年九月一〇日、軽快して退院した。
6 ところが、原告は、その数日後から発熱、胸部の腫脹及び疼痛があったため市民病院を訪れ、山田医師の診察を受けた。山田医師は、原告の白血球が増加しており、レントゲン検査によって胸骨に骨融解が見られたので、前回の診察時より骨髄炎が悪化したものと診断して病巣部分の郭清手術が必要であると判断し、原告にそのことを告げて入院を薦めた。
7 原告は、同年一一月一五日、市民病院に入院し、同月一九日、山田医師の執刀により骨髄炎の病巣部分の郭清手術が行われた。山田医師は、胸骨真上の皮層を一〇センチメートル位縦に切開して手術を行ったが、第二肋骨部分に剥離した病巣が存在し、病巣部分には肉芽の形成及び一部膿の排出があったので、病巣部分を郭清して手術を終了した。山田医師は、排出した膿によって原因菌の培養を試みたが菌が検出できなかった。
三 本件検査における小金井医師の処置
<証拠略>によると、次の事実が認められ、<証拠略>中右認定に副わない部分は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 小金井医師は、本件検査の時点までに医師として五年の経験があり、骨髄穿刺検査は十数回経験していた。
2 小金井医師は、看護婦一名、検査技師二名を伴って原告の病室に赴き、同所において、昭和五九年五月一七日午後二時頃から本件検査を開始した。小金井医師は、原告をベッドの上に仰向けに寝かせ、前胸部の中心部をヨード製剤イソジンで消毒し、第二ないし第四肋骨部分が出るように穴のあいた片面吸水ドレープを胸部に張りつけ、手術用ゴム手袋を装着したうえ、オムニカイン(麻酔薬)を原告の胸部に注射し、胸骨の第二肋間(第二肋骨と第三肋骨の中間)に使い慣れたドリル式の穿刺器具を用いて穿刺したところ、穿刺針が骨髄に到達したのに注射器で吸引しても骨髄液を吸引できなかったので、一旦穿刺針を抜いて穿刺器具をトレー内に置き、手袋をしたまま右の穿刺部から約一センチメートル下方を指で探って次の穿刺部を定め、同部に再度麻酔薬を注射し、穿刺針を滅菌されたガーゼで拭いた後、右穿刺から数分後に二度目の穿刺をして骨髄液を採取し、同日午後二時三〇分頃、本件検査を終了した。
3 小金井医師の用いた片面吸水ドレープ及び手術用手袋は、滅菌したうえ密封された袋に入ったものを施術直前に取り出したものであり、穿刺器具は、被告病院の中央材料室において、トレーに入れ布及び紙をかぶせたうえで高圧蒸気滅菌装置(オートクレープ)により滅菌して、そのまま検査場所に搬入されたものであった。
4 小金井医師の実施した本件検査の検査方法、検査器具、消毒方法は医学上一般に認められているものであった。
四 急性化膿性骨髄炎及び胸骨骨髄炎について
<証拠略>によれば、次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 急性化膿性骨髄炎は、黄色ブドウ球菌の感染による場合が多く、その発症は、身体各部の炎症病巣(化膿性皮膚疾患、扁桃腺炎等)から血行性に骨髄に感染するもの、外傷(開放性骨傷)により直接骨髄に感染するもの、近接する組織における化膿巣から直接感染するものに分けられ、そのうち、血行性による場合が多い。血行性による場合は、小児に多く発症し、その発症部位は長管骨(大腿骨、脛骨)の骨幹端が多く、偏平骨、短管骨が少なく、成人では脊椎骨が冒されることが多く、急性骨髄炎の典型症状としては、全身症状として発熱、局所症状として腫脹、疼痛等の炎症症状があるが、早期診断は困難であり、レントゲン検査で異常所見が現れるのは学童児で発症後七日ないし一〇日、時には二週間位要するとされている。皮下骨折術後発症した骨髄炎についての臨床症状報告<証拠略>によれば、皮下骨折術後、骨髄炎の発症までの期間は最短で三日、最長で三年とされている。なお、骨髄炎の起因菌の検出率はそれほど高くなく、抗生物質等が投与されている場合は検出しにくい。
2 胸骨は、偏平骨であって骨髄炎を発症することは極めて希であり、胸骨の骨髄炎発症事例としては心臓の手術で開胸した後その部分が化膿し、胸骨に骨髄炎が発症した報告があるが、骨髄穿刺検査から骨髄炎が発症した事例の報告はない。なお、胸骨は非常に薄いのでそこに骨髄炎が発症すると骨が直ぐに破れてしまい、痛みも弱いことから、骨髄炎は慢性化し易く、またレントゲンの像に出にくいので診断が困難である。
3 黄色ブドウ球菌は、節、癰、蜂窩織炎などの表在性化膿性感染症の主要な原因菌であり、人体の外界に接する各所に常在菌として存在している。そして、その菌の感染発症には多かれ少なかれ宿主(ホスト)である人間側の抵抗力の減弱状態(コンプロマイズド・ホスト)が関与しているものと考えられている。
五 本件検査と原告の骨髄炎の関係
以上認定の諸事実により、原告の骨髄炎と本件検査の関係を考察する。
1 原告の骨髄炎が本件検査による穿刺部の胸骨に発症していること、血行性の骨髄炎は胸骨に発症することが希有であること、本件検査後から高熱を出し、穿刺部に腫脹・疼痛があり、頚部から胸背部にかけて発疹が生じる等骨髄炎の典型症状に合致する症状があったこと等からすると、原告の骨髄炎は一応本件検査を契機に発症したものとみられる〔なお、本件検査によって骨髄炎が発症したものとすれば、起因菌の増殖期間を考慮すると、本件検査後二日頃(昭和五九年五月一九日頃)までの発熱は骨髄炎によるものとは言い難い。〕。
2 原告の骨髄炎の起因菌が黄色ブドウ球菌である可能性が大きいところ、原告は、昭和五九年四月二六日の被告病院への入院まで長年慢性肝炎で被告病院に通院し、同年三月から同年四月にかけては左前胸部打撲による胸部痛、顔面皮下膿症、顔面湿疹の治療を受け、境界域糖尿病に罹患し、右入院中の本件検査前に上半身に発疹があり、全身掻痒感、下半身倦怠感、歩行困難、腰部及び頚部痛を訴え、体重の異常増加、白血球の増加があったので感染症に対する抵抗力が低下していたものとみられること、黄色ブドウ球菌は表在性化膿性感染症の主要な菌であって人体の外界に接する各所に常在菌として存在すること、原告の胸骨には本件検査による損傷があったこと、小金井医師の実施した本件検査は医学上相当と認められる方法により行われたもので、穿刺器具等に起因菌が付着し、穿刺口から起因菌が侵入する可能性が極めて低いこと等を勘案すると、原告の骨髄炎が血行性によって発症した可能性を否定することができない。
3 そうすると、原告の骨髄炎は、一応、本件検査を契機に発症したものとみられるが、血行性によって発症した可能性を否定することができないので、小金井医師が本件検査器具等を通して穿刺口から起因菌を侵入させて原告に骨髄炎を発症させたとする原告の主張を認めることはできない(なお、証拠上、本件検査と血行性による骨髄炎の発症とは相当因果関係がない。)。
六 本件検査の必要性の有無について
原告の骨髄炎は、一応本件検査を契機に発症したものと認められるところ、原告は、小金井医師が不必要な本件検査をして原告に骨髄炎を発症させた旨主張するので、この点について判断するに、小金井医師が昭和五九年四月二七日、原告の血液検査の結果により白血球数が一ミリ立方メートル中一万一五〇〇個存在したので、原告に白血病等の血液疾患の疑いを抱き、骨髄穿刺検査が必要と考えて本件検査をしたことは先に認定したとおりであり、<証拠略>によれば、白血球の増加は感染症、血液疾患、その他様々な疾患により惹起されることが多く、小金井医師は、当初、原告の白血球増加の原因をクッシング症候群によるものと考えたが、これが否定されたため血液疾患を疑ったこと、骨髄の血液を検査し末梢血液像と対比して観察することは血球の新生、成熟、末梢血中への遊出の状態を明らかにし、諸種血液疾患特に悪性貧血、再生不良性貧血、白血病などの診断を的確ならしめるものであり、その方法として骨髄穿刺検査が最適であること、白血球数の正常値の範囲については様々な見解があり、一ミリ立方メートル中上限一万一〇〇〇個とする見解も見受けられるが、被告病院では下限四〇〇〇個から上限八五〇〇個を正常値と定め、右上限を超える場合は検査の対象としており、被告病院の定めた数値が一般的で妥当なものとみられることが認められ、この認定に反する証拠はないので、原告の前記症状からすれば、原告の疾患を診断し、治療方法を検討するために本件検査が必要であったものといえるので、原告の右主張は採用できない。
七 被告病院の措置について
原告は、被告病院が原告の骨髄炎の早期治療を怠り、骨髄炎を悪化させた旨主張するので、この点について判断するに、急性化膿性骨髄炎の早期診断が困難であること、被告病院は、本件検査の三日後の昭和五九年五月二〇日から原告に抗生物質パンスポリンを投与し、同月二二日、骨髄炎を疑った後も同薬剤を投与してその治療に当たったこと、同年八月一五日、原告が被告病院に再入院した後も被告病院は抗生物質ホスミシン、ベストコールを投与して治療したことは先に認定したとおりであるところ、<証拠略>によれば、骨髄炎は初めは保存的治療を行い、その結果、どうしても症状が治まらない場合に手術をするのが原則であり、被告病院においては原告に対し適切な治療が行われたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はないから、原告の右主張は当たらない。
八 結論
以上のとおりであって、原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長谷喜仁 裁判官 横山巖 裁判官 將積良子は転任につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 長谷喜仁)